近所の人、お客様に対して役にたつ、模範となる会社つくりを目指します。
時代にあった良質な商品を提供します。
感謝の心を忘れずに、人と資源を大切にします。
遠藤材木店は、創業から130年以上商いを続けさせて頂いています。
この事は、社員、近所の人、お客様の支え、協力があったからです。
お世話になっている人に対して、商品である材木に対して、感謝の心をわすれてはいけないと強く思っています。
感謝の心を材木という商品に込めて、良質な商品を提供していきます。
周りの人の模範となる会社を目指し、お役にたてる人間になれる様に、日々精進していきます。
法人名 | 株式会社遠藤材木店 |
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代表者 | 遠藤 通郎 |
本社所在地 | 東京都新宿区新宿1-17-16 |
電話番号 | 03-3352-7521 |
FAX番号 | 03-3352-7524 |
shinjyuku@endo-zaimoku.com | |
創業 | 明治11年 |
設立 | 昭和22年5月7日 |
資本金 | 1000万円 |
社員数 | 11人 |
決算期 | 年1回 3月 |
所属組合 | 東京材木商協同組合 |
所在地 東京都新宿区新宿1-17-16 電話番号 03-3352-7521 FAX 03-3352-7524 営業時間 8:00~日没 定休日 日曜 祝日 備考 【決済】 現金、クレジットカード
所在地 東京都調布市国領町1-1-11 電話番号 042-483-3100 FAX 042-483-3101 営業時間 8:00~17:00 定休日 日曜・祝日 備考 【決済】 現金、クレジットカード
元禄時代 | 先祖は赤坂青山久保町(旧青山北町4丁目)に材木商を営む。 付近は皆武家屋敷だったが久保町だけは商屋が集まっていた。 (現在、四谷愛住町の法雲寺にその墓石三基あり) |
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明治11年7月 | 太政官布告第17条をもって材木渡世の告示があり、その組合の鑑礼として 「材木渡世」の堀り文字のけやき看板(7寸×3尺)があったが、第二次世界大戦の戦災で焼失した。 |
明治16年 | 近衛四連隊(現青山高校の所)が設置されたため取払いになり、四谷区大番町45(現大京町25)に移住して結城屋と称した。 |
明治25年 | 家屋敷、倉庫火災にあい全焼してから解体業も兼業していた。 |
明治34年 | 三代目 力蔵(二代目 茂吉の三男)は少年時代より和泉屋島崎鉄五郎(赤坂区田町7丁目2)に十数年に亘り修行してこの年に27歳にて妻帯と同時に店の後を継ぐ。 妻は竹子21歳(王子稲村の名門小川新左衛門の長女) |
大正12年4月 | 4代目 利三郎は麻布中学校卒業後、家業に従事する(18歳) |
昭和20年5月 | 戦災にあい無一物となる。家族は戦時中群馬県下仁田町へ疎開。 |
昭和20年8月 | 新宿区大京町31番地に焦土の中、丸鋸工場を建設。 |
昭和21年10月 | 東京木材相互市場㈱元会長大橋氏の尊父から、新宿1丁目の土地1600㎡を無償で借受け敷地に木材を山積みし戦災復興にあたる。 |
昭和22年5月 | 株式会社遠藤材木店を設立 資本金19万円 |
昭和24年6月 | 完全に木材統制が撤廃。新宿区花園町25番地の現本社の土地、1000㎡を確保し本社を大京町31番地より移す。 |
昭和27年 | 本社の隣地450㎡を買収拡張。逸早く吉野石膏ボードを販売 |
昭和28年 | 花園町が区画整理され本社の土地の25%を収容される。 |
昭和35年4月 | 防災倉庫として、中高層第一遠藤ビル竣工 |
昭和36年 | 調布市国領町1丁目1番地の新甲州街道沿い土地1153㎡確保。 |
昭和38年 | 社員の保養所として富士山中湖畔に山小屋を設ける。 |
昭和39年4月 | 調布営業所開設(店舗、倉庫、切込み場、寄宿舎) |
昭和44年3月 | 第二遠藤ビル竣工(地下防音防災の切込み場、バンドソー 焼却炉) |
昭和60年6月 | 第三遠藤ビル竣工。鈴興建設㈱ |
平成元年5月 | 5代目 遠藤才一郎は専務より代表取締役社長に就任 |
平成11年2月 | 調布営業所にビル「ウッディ遠藤」竣工。施工 ㈱長谷コーポレーション |
平成11年6月 | 社長 遠藤才一郎が東京材木商協同組合の理事長に就任。 |
平成14年12月 | 遠藤紫郎は専務より6代目社長に就任。 |
平成22年5月 | 遠藤通郎は専務より7代目代表取締役社長に就任。 |